昭和のエロティシズムって慎ましく奥ゆかしく隠そうとするところじゃないですか?
昭和の街の風景っていうとね、そうだな・・・私は生まれが九州の炭鉱の町だったから、当時は長屋とかいっぱいあって、トタン屋根の長屋とかね、プレハブの長屋とか、数多くありましたね。映画で見ることあるでしょ? あのセットみたいな街でしたよ。街並みの中に煙突が見えててね。コークスを焚いてるとか、石炭を運ぶトロッコとか、場所によって違うと思いますけどね。
東京じゃまだ都電が走ってたし
「ギブ・ミー・チョコレート!」
そこまではいかないけど、それでも私達の年代じゃ、まだアメリカ兵は見かけましたね。
「ヘイ、ベイビー!」
抱っこされて、お小遣いもらって、写真撮ったりね。「ガイジンさん」っていったら、アメリカ人をイメージしますね。今じゃ世界各国の人たちが日本で暮らしていて、外国人は珍しくもないんでしょうけど。
外国人男性と性体験のある国際派熟女
今ではコンビニで買える外国の煙草も、洋モクっていってね。マルボロとか基地でしか手に入らない時代でした。ウチのじいちゃんは「しんせい」母方のおじいちゃんは「ピース」吸ってました。「いこい」ってありましたよね。今でもあるのかしらね。JTなんて洒落た名前の会社じゃないですから、専売公社の時代ですよ。日本国有鉄道、電電公社、住宅公団・・・今聞くと何か重々しいですよね。
所得倍増計画とやらがあって、高度成長期に入ると、庶民の生活うもだんだんと豊かになってきて、サラリーマンの給料も上がってきて、中流階級ってのができてきた時代でしたね。 活気はあったですよ。日本の青春時代ですね。 文化住宅ってのに入るのが当時は憧れでした。そこに入れない方もいて、やっぱり年収とか職業とかの条件があって、今も格差社会っていわれてますけど、今よりもっと収入格差はありましたからね。
昭和の女性のイメージっていうとね、子供心に、大人の女の人だな、カッコイイな、色っぽいなって思ったのは、そうですね・・・住んでいる環境からちょっと足を運ぶと花街がありましてね。そこは、本当に、何てんだろう・・・生活が西洋文化と日本文化を両方兼ねた街でしたから、小粋な小洒落なお姐さんたちを見かけましたね。
香水とか化粧の匂いを美容院の匂いと思ってましてね、なんとなくそんな匂いがするのが、成熟した女性というか大人の女性でしたね。お母さんはパーマ屋さん」お婆ちゃんは「髪結いさん」って呼んでましたけど、中に入ると、並んでお釜被ってましてね。
「熱くないですかぁ?」
そんな時代です。
自分の身近な生活の中にあった昭和女性というのは、やっぱりお婆ちゃんだったりとか、叔母さんとかですね。強さもあるし、躾には厳しかったですね。 畳のある和室でしたから、敷居のまたぎ方とか
「畳の縁を踏んじゃいけない。」
よく和装用の長い木のものさしで叩かれたりしました。 日本家屋でしたからね。入口が玄関だけじゃなくて、勝手口があったりして、埃がたたないように新聞紙湿らせて敷いてから放棄で履く。それも畳の目にそってね。
風情がありましたね。季節の行事を大切にしてました。 正月に獅子舞が来てご祝儀あげたり、書初めをしたり、子供も遊びはすごろく、凧揚げ。節分は豆まきに鰯の頭。季節感がありましたね。クリスマスもやってましたけど、日本の伝統行事もそれ以上に大切にしていたと思います。 そういうのを教えてたのがお婆ちゃんだったり、明治の女でしたよね。昭和まではそれを実行してやってたと思うんです。 昭和を今の子に教えると反感をかうでしょうし、昭和がなくなっていますよね。平成と入れ替わりでなくなったような気がします。
昭和のエロティシズムねぇ。奥ゆかしいところ、隠そうとするところじゃないですか? 慎ましさというか・・・そんなものが昭和の女にはあったのかな? 周りの目を気にしてるのが昭和の人っていう感じがしませんか?
今は人のことは気にせず自分のことだけでしょ? 私どもは周りのことを気にして育ってきましたからね。 今は女性が世にでるような時代ですから、解放感に満ち足りていて、平成流に開放的になることもあるけど、でも何かおこがましい気がします。
自慰行為なんて、そんなことやっちゃいけないでしょ。そういうふうに教わりました。 年頃になると乳房とか股間とかに手がいきますよね。当時は家族が川の字になって寝ていた時代ですから、母親には何気なく感じ取られて
「女の子がそんなとこに手を置いていけません!」
何気に言われたような気がします。母や父がいないときとかはしてましたけどね。
古き良き時代を語る昭和の女 加藤貴子さん 高見礼子さん
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